施設葬儀
逗子で特別養護老人ホーム「逗子ホームせせらぎ」を運営しています。
開設当初から入所されていたSさんが
先週の日曜日、せせらぎにてご逝去されました。
22年間せせらぎの歴史と共に歩んできた人生の
最終章(告別式)を故人と施主のたっての希望により
せせらぎ内で行うことになりました。
せせらぎは昭和59年5月1日に開設、Sさんは同年5月12日に
入所されました。
入所当初は4人部屋で生活をされていましたが、平成3年に別館の
増築をもって、別館3階の一人部屋「山百合」に移られました。
Sさんの口癖は
「私の兄弟は短命なのよ。私はせせらぎにお世話になったからこそ
元気でいられるのよ。自宅で生活していたら今は生きてないわよ」
「本当、せせらぎには感謝しているのよ」
せせらぎでの22年間は大きな病気もせず、
穏やかな日々を過ごされていました。
クラブ活動なども積極的に参加され、以前はあちらこちらと旅行にも
行かれていました。
お体の状態は、ご本人が一番理解していたため、
ここ数年は、クラブ活動や式典にもあまり参加されず、
無理をしないで「生きるためだけに生命を費やす」とおっしゃって
いました。
「ここにお世話になって、沢山旅行に連れて行ってもらったし、
自宅では経験できないことも沢山させてもらった。」
「今はせせらぎにいるだけで幸せだから。無理をしないで
この部屋で生活を送るだけで幸せなの」と。
「私は十分楽しませてもらったから旅行や外出などは、
他の人を連れって行ってあげて。」
常に自らを取り巻く環境に感謝の気持ちを持って生活されていた
Sさんは、毎年バレンタインデーには、全ての男性職員にチョコレートを
プレゼントしたり、時には、職員の相談にも乗っていただき、
叱咤激励して下さいました。
ここ最近状態が低下されてもなお、自らのプライドを持ち続け、
亡くなるその日まで、いつもの着物にストッキング姿、
介護する職員には、感謝の気持ちを伝え続けていました。
生活スタイルを一切変えることはありませんでした。
せせらぎでは、ターミナル状態になったときには静養室に移り
最後を迎えますが、Sさんは最後までご自身の部屋にこだわり
最後の最後まで、居室を移ることはありませんでした。
ご本人が最後はせせらぎでお別れ会(告別式)をしたいという
願いのもと、せせらぎにとってはじめての告別式を、本館3階の訓練室で
とりおこないました。
親族をはじめ、知人、施設入所者、職員、また退職した職員に至るまで
参列。
予想を上回る多くの方々で見送ることが出来ました。
眠るようなその横顔は、いつものように「ありうがとう」と言って
下さるかのような、穏やかで、また幸せそうな表情でした。
お別れ会に参列された方がこんなことを言っていました。
「人は生きてきたようにしか、死ねない。」
「Sさんはいつも、周りの人に勇気と元気をくれた人だった」と。
せせらぎの歴史と共に、歩んできた22年間。開設当初の50名の
メンバーはこれで全ていなくなり、昨日で一つの時代が終わった気が
します。
自らをしっかりと持ち、「凛」して最後を迎え入れたSさんから
亡くなってもなお、職員に教えを頂いたような気がします。
最後に職員一同心より感謝申し上げます。
「ありがとうございました。」
こころよりご冥福をお祈りいたします。
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